日本の夜を走る寝台列車は、なぜ一本だけ残ったのか
カイ·2026年9月6日

横浜駅のホームは、夜も更けた時間だというのに、思ったより多くの人でにぎわっていた。足元の床には「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」と書かれた案内が貼られている。二つの名前は、じつは同じ一編成の列車だ。東京から岡山まで一緒に走り、そこで四国と山陰へ分かれていく。日本で毎日運行される寝台列車は、いま、この一本だけになった。
線路の向こうから、金色の車体がゆっくり近づいてきた。駅の灯りを浴びて、丸みを帯びた先頭と背の高い窓が、ひときわ明るく浮かび上がる。機械というより、舞台の登場人物のように見えた。
かつて夜行列車は、もっと身近な存在だった。学生や家族連れ、仕事を終えた人を乗せて、眠っているあいだに遠い街まで運んでくれた。ところが時速三百キロの新幹線が地図を縮めていくと、一晩かけて移動する意味は少しずつ薄れ、寝台列車は次々に姿を消した。残ったのは、このサンライズだけ。なぜ一本だけが生き残ったのか。その答えを知りたくて、私は切符を取ることにした。
切符の確保は、旅そのものよりずっと気を揉むものだった。予約は出発の一か月前から始まり、人気の日は数分で埋まってしまう。発売日の朝、私は大きなJRの駅の窓口に並び、順番が来るまで頭のなかで台詞を繰り返していた。「横浜から姫路まで、一人用の個室を一枚お願いします」。
「この列車ですか。とても人気で、もう満席かもしれませんよ」
窓口の人は、驚きと同情が半分ずつ混ざったような笑みを浮かべた。それでも端末を操作して、しばらくすると、急に表情を変えた。宝くじの当選番号を読み上げる前のような、慎重な顔。「一部屋だけ、空いています」。たった一部屋。私は思わず、心のなかで小さくガッツポーズをした。
正直に言うと、最初から個室を考えていたわけではない。サンライズには「ノビノビ座席」という、いちばん安くて気軽な席がある。カーペットの上にそのまま横になれるお座敷のような区画で、お財布にやさしいと人気だ。私も最初はそこにしようと思っていた。ところが窓口で「お部屋はどうされますか」と聞かれた瞬間、どうしても優柔不断になった。寒さが、隣の人のいびきが、思ったより硬い床が、頭のなかをぐるぐる回る。初めての夜行列車で冒険をする度胸が、そのときの私にはなかった。結局、無難な個室を選んだ。いま思うと少し情けないけれど、それが正直なところだった。
乗り込むと、廊下の灯りは柔らかく、車内は思ったより静かだった。自分の部屋のドアを開くと、小さな世界が待っていた。荷物がぴたりと収まる棚、窓に沿って伸びる細いベッド、柔らかな毛布。壁際には小さな鏡もあった。置き型のラジオではなく、壁に組み込まれた操作パネルが、枕元の窓ぎわに手の届く距離で備わっている。ミニチュアのホテルの一室のようで、一人分の暮らしに必要なものが、きちんと揃っていた。カーテンを閉めれば、ここが今夜の私だけの場所になる。
眠るにはまだ早くて、ラウンジへ向かった。サンライズには、乗客が自由にくつろげるフリースペースが備わっている。自販機で飲み物を買い、窓際の席に座ると、通り過ぎる街の灯りが、ぽつぽつと流れていく。隣の席の人が、ふと話しかけてきた。どこまで行くのか、どうして夜行列車を選んだのか。やがて話は、ゆっくり旅するよさや、変わっていく時代のなかでも古いものを大切にする国の話へと続いた。名前も知らない人との他愛ない会話が、夜の時間をあたたかくしてくれた。
歯を磨こうと部屋へ戻り、廊下の券売機でシャワーのカードを買った。シャワールームは小さいけれど、隅々まで磨き上げられていて、湯の音と換気扇の低い音が、走る列車のなかに小さな聖域をつくっていた。身も心もすっきりしたところで、枕元の壁に組み込まれた操作パネルでラジオをつけると、やわらかい日本語の音楽が流れてきた。レールの継ぎ目を刻むリズムとかすかな音楽が重なって、いつの間にか、私は眠りに落ちていた。
目が覚めたのは午前四時。もう一度シャワーを浴びて荷物をまとめ、窓辺に座ると、空が少しずつ色を変えていく。夜がほどけていくようだった。
午前五時二十五分、列車は姫路に滑り込んだ。ホームに降りて振り返ると、夜のあいだ一緒に走ってきた列車が、静かに動き出していた。冷たい朝の空気が頬に心地よい。私はホームの端まで歩き、小さくなっていく金色の灯りを、見えなくなるまで見送った。列車はこの先の岡山で二つに分かれ、四国と山陰へ向かう。それぞれの夜明けを目指して、まだ走り続ける。
薄れていく金色を見送りながら、私はもう次の切符のことを考えていた。この列車が走っているうちに、もう一度。今度は、ノビノビ座席で。
この記事はAIの助けを借りて作成され、人間によって編集されました



